きぬさや教育塾

小学校での教員生活の経験を生かし子育てを応援します。

運命ならば・・・

*石垣鍾乳洞(落ちてたまるか)

死ぬときに楽しかったと思いたい!

知床の観光船沈没事故で犠牲になられた方の中で、当日に予定を変更して事故にあわれた親子のニュースを見て、人の寿命は決まっているのかもという思いが強くなりました。多くの方が巻き込まれる事故が起きるたびに本当だったら巻き込まれなかったはずの人が巻き込まれたり、反対に巻き込まれるはずの人が巻き込まれずに済んだりということがあります。人の運命は人のあずかり知らないところで決められているように感じるのは私だけでしょうか?

人は誰であれ必ず死にます。いつどのように死ぬかは誰にもわかりません。できれば、死ぬとき楽しい人生だったと私は思いたいのです。

楽しい人生って?

刹那的に自分の本能で楽しいことをしていたら・・・本当に楽しいでしょうか?自分の今までの経験ではしんどい事があっても仲間と笑いあったり乗り越えたり、時にはしんどい事をしたその体験が後で振り返ると楽しかったことになっていることに気付きます。その時楽しく遊んでいたことなんか次の日にはもう忘れているのに。

子どもたちに人生の楽しさ、生きている意味を分かる大人になってもらうために、本当に楽しい事、心が豊かになることを教えてあげるのが大人の務めではないかと思うのです。それは、一昔前のスポコンドラマのように根性で頑張れと無理にさせるのではなく、「自らの意思で目標を目指し努力すること」が楽しいと思えることです。それをどうしたら教えられるか?すごく難しいと思います。

「勉強も頑張ったら楽しくなる」と言ってみてもやったことのない、できたことのない子には響きません。ある程度無理にさせてみても自分からやってない時はほとんど成果が出ないのです。

今思うことは、遠回りでもやはり大人がお手本を見せることが一番子どもたちに届く方法ではないのかと思います。大人が努力してその成果を得ている姿を見ていくことで少しずつわかっていくのではないかと思うのです。成功しても失敗しても努力したことには何かしらの成果が得られるということを見せてくれる、語ってくれる大人が近くにいる子はきっと人生の楽しみ方を手に入れることができると思うのです。

子どものためにも自分自身の人生のためにも、いくつになっても目標を持って努力できる、その努力を喜べる人でありたいと思っています。