きぬさや教育塾

小学校での教員生活の経験を生かし子育てを応援します。

塾・・・行ってますか?

*叡福寺:聖徳太子生誕地


塾は習い事?

前に習い事について書きましたが、塾って習い事なんでしょうか?塾はある子にとっては習い事だし他の子にとってはそうでないかも・・・。

基本的には塾だって自分が行きたいと思ったときに行けば良いと思うのですが、そうでないこともありますよね。

まず、中学受験する子。中学受験をするかしないかはまたの機会にするとして、大阪の場合は4年生くらいから塾に行く子が多いです。中学受験は学校にもよりますが有名進学校であればあるほど小学校の普段の授業とは違うところから問題が出ます。なので、特別な問題に取り組む練習をするために塾に行く子が多いようです。また、塾に行っていれば、同じような学校を目指している子と知り合えるので取り組みやすく、塾から受験の指導が受けられます。行きたい学校と自分の学力のレベルに合わせて塾を選ぶのが良いと思います。

それ以外の人は自分が何のために塾に行くのかを考えて目的に合った塾を選ぶことが大事です。どの塾が良いかは人によって違います。半年してもあまり成果が無いようなら変えたほうがいいのかもしれません。

学習についていけないので基礎からという子や毎日少しずつ勉強したい子、友だちといると集中できないから個別がいい子など、人によって問題は様々です。子どもが行きたいと言っていて、いろいろな大人の事情が許すなら通わせてあげれば良いと思いますが、結構なお金がかかると思いますので、ちゃんと指導してもらっているのか、その子にあっているのかはきちんと見守りましょう。中には友だちと行き帰りに遊ぶために行きたいという子もいます。

また、行きたいと本人は言っていないけど学習についていけなかったり、学習習慣が身についていないので是非行かせたいと思っている保護者も多いようです。まずは子どもと話し合い、なぜ行かないといけないと思っているのかを説明し、本人も了解してから始めましょう。いやいや行っていてはお金の無駄になりますから。そして、一度見学してから入ったほうが良いと思いますよ。

塾でなくてもいろいろな教材を取り寄せるということもあります。付録がついていたりPCのような端末で操作したりと興味を引くようなものがたくさん出ています。とはいえやはり結構お金はかかるのですから、きちんとできるのか、できているのかちゃんと見守る必要があります。親のサポートと見守りがないと家庭での教材はなかなか続かない子が多いようですよ。

塾も6年生くらいになると多くの子が通っているのが現実ですが、自分の子に合っているのかを考えて利用することが大事だと思います。

習い事いくつしていますか?

*ローウェル天文台(USA)


楽しく習い事に行っていますか?

習い事と言ってもいろいろありますよね。ピアノ、体操、サッカー、野球、絵画、書道など数えだしたらきりがありません。教室で子どもたちに尋ねると、どこの学校でも習い事なしの子がほとんどいないくらい何かを習っています。学校により違いはありますが、2~3つが一番多く、中には毎日何かの習い事がある子もいます。

共働きの家庭が増えて、家に子どもだけでいる時間を少なくするために習い事に行っている子も多いようです。家計の支出も大変ですね。

子どもにどんな習い事をさせたらいいでしょうか?

基本的には子どものやりたいものと予算、家庭の条件(習い事への送り迎えなど)の合うものであればどれでもいいと思います。もちろん将来役に立つものであればいいのでしょうがそこはあまり期待しないほうがいいでしょう。子どもが大きくなってから聞いてみるとたいていの人はお金の無駄だったと答えますから・・・。

大事なのは無理強いをしないことと子どものやる気を見極めることです。

私は小学2年の時ヤマハ音楽教室に通わせてもらいました。実はレッスンバッグが欲しくてお願いしたのです。うちはそれほど裕福ではなかったのですが、両親は無理をして習わせてくれただけでなくオルガンまで買ってくれました。私は嬉しくて練習に励んだかというと、残念ながらいやいや1年通い、3年途中で引っ越すことになったので喜んでやめてしまいました。練習するのが嫌いで練習しないで行くとできない!当たり前なのですが、それが嫌でオルガンを好きになれなかったのです。3年から始めた習字は家で練習しなくて良かったので中学3年まで続きました。あまり上手くならなかったですが。

そこで自分の子にはやりたいというものはなぜやりたいか聞いてからさせていました。1年は続けることだけ約束して。その後はやる気がなさそうであれば辞めさせました。一度やり始めたらずっと続けないといけないという意見も聞きますが、やる気のないものにお金を払っているより、別のものに興味を持って始めるほうがいいのではないかと思います。お金がもったいないですからね。まあ、習い事のほとんどはあまり役にたたないことなので、無駄なお金と言えばそうなのでしょうが、親としてはもしかしたら何か才能が隠れているかもしれないと思いますよね。ただ、いやいや通っているのはあまりにもったいないと思います。

子どもは親の期待を感じていますから自分から辞めたいとは言わないことが多いですし、やらないので叱る時に「やめなさい」と言っても「やります」と言うことが多いです。よく見極めてやる気がなければ、きちんとやめさせてあげるのも親の役割ではないかと思います。

一人でいるのはダメですか?

*かんむりわし

いつも友だちがいないといけませんか?

保護者の方から、「友だちがいますか?」「友だちができにくいのですが。」という相談が懇談会の時などにありました。

すぐに友だちを作れる子もいれば、いつも一人の子もいます。友だちがすぐ作れる子の保護者は心配しないのですが、友だちが少ないと不安になるのが親のようです。

ラジオでパーソナリティーの方が言っていましたが、今は社交的とみられているが、小中学校のころは友だちを作らないほうで、好きなもの同士でグループを作りなさいと言われるのが嫌だったそうです。高校で友だちの多い子の観察をしてこうすればいいのかとわかったそうです。また、芸能人の中にも結構小さい頃は一人だったという人、人付き合いが苦手だったという人が多いようです。

一人でいる子と言っても、純粋に一人が好きな子、周りの子のことに気を遣うので一人がいいと思っている子、友だちになりたいけれどどうしていいかわからない子、などいろいろです。

周りの大人は、友だちが多いほうが良いと思いがちですが、自分を振り返ってみてください、たいていの友だちは一過性のもので一生涯続いている友だちは案外少ないと思います。中にはそばにいないほうが良い友だちもいたりします。友だちが多い少ないはあまり気にする必要がないと思うのです。今そのことで困っていなければ大丈夫です。

ただ、友だちが欲しいのに作り方がわからない子に関しては、作るための手立て、例えば「あそぼと声をかける」とか、「人にやさしくする」とかのスキルを教えてあげる必要があります。小学校にはいって友だちに嘘をつくとか手が出る子の何割かは、友だちが欲しいのにどうしていいかわからず、関心を引こうとしてかえって嫌われることをしてしまう子です。どうしたら友だちに好かれるのかは、小さい頃は自分が気持ち良くなる言葉がけや態度を経験することにより獲得できます。大きくなったら根気強く良い行動を教えていくしかないと思います。

一人を楽しんでいる子は一人でいても大丈夫です。自分が友だちを作りたいと思うときがくれば自分からきっと動き出します。

一人でいるのも自由。みんなといるのも自由。自分で考えて自分に合った生活を楽しめているかを見てあげてください。

運命ならば・・・

*石垣鍾乳洞(落ちてたまるか)

死ぬときに楽しかったと思いたい!

知床の観光船沈没事故で犠牲になられた方の中で、当日に予定を変更して事故にあわれた親子のニュースを見て、人の寿命は決まっているのかもという思いが強くなりました。多くの方が巻き込まれる事故が起きるたびに本当だったら巻き込まれなかったはずの人が巻き込まれたり、反対に巻き込まれるはずの人が巻き込まれずに済んだりということがあります。人の運命は人のあずかり知らないところで決められているように感じるのは私だけでしょうか?

人は誰であれ必ず死にます。いつどのように死ぬかは誰にもわかりません。できれば、死ぬとき楽しい人生だったと私は思いたいのです。

楽しい人生って?

刹那的に自分の本能で楽しいことをしていたら・・・本当に楽しいでしょうか?自分の今までの経験ではしんどい事があっても仲間と笑いあったり乗り越えたり、時にはしんどい事をしたその体験が後で振り返ると楽しかったことになっていることに気付きます。その時楽しく遊んでいたことなんか次の日にはもう忘れているのに。

子どもたちに人生の楽しさ、生きている意味を分かる大人になってもらうために、本当に楽しい事、心が豊かになることを教えてあげるのが大人の務めではないかと思うのです。それは、一昔前のスポコンドラマのように根性で頑張れと無理にさせるのではなく、「自らの意思で目標を目指し努力すること」が楽しいと思えることです。それをどうしたら教えられるか?すごく難しいと思います。

「勉強も頑張ったら楽しくなる」と言ってみてもやったことのない、できたことのない子には響きません。ある程度無理にさせてみても自分からやってない時はほとんど成果が出ないのです。

今思うことは、遠回りでもやはり大人がお手本を見せることが一番子どもたちに届く方法ではないのかと思います。大人が努力してその成果を得ている姿を見ていくことで少しずつわかっていくのではないかと思うのです。成功しても失敗しても努力したことには何かしらの成果が得られるということを見せてくれる、語ってくれる大人が近くにいる子はきっと人生の楽しみ方を手に入れることができると思うのです。

子どものためにも自分自身の人生のためにも、いくつになっても目標を持って努力できる、その努力を喜べる人でありたいと思っています。

「行ってらっしゃい」はおまじない

川越市 時の鐘

朝、忙しくても「行ってらっしゃい」言っていますか?

私は、朝家族が出かけるとき、できるだけ「行ってらっしゃい」と見送るようにしています。もちろんできない時もありますが、自分のほうが先に出るときは「行ってきます。」と「行ってらっしゃい。」を一緒に言います。手が離せない時は大きな声で。

昔はあまり気にしていなかったのですが、2004年の長崎県佐世保市女子児童殺害事件(小学6年生の女子が校内で同級生にナイフで刺されて亡くなった事件)の亡くなった少女のお父さんの「朝忙しくて声もかけずに学校に行かせてしまった。それが心残りだ。」というようなコメントを新聞で読んだとき、お父さんの無念さとこの世の中次の瞬間どうなっているかわからないんだ、と思いました。だから、今この瞬間が本当に大事なんだと思うと同時に、なにが起こるかわからないのなら、家族を送り出す時、できるならきちんと顔を見て送り出したい、と思ったのです。

それ以来、「もし万が一」の時、後悔したくないという思いで、できる限り顔を見て送り出してきました。「忙しい」時もなぜかその言葉が浮かんできて、ほんの少しの時間だからと顔を見て送り出しました。

「もし万が一」があっては困るし、もしあったら例え「行ってらっしゃい」と言っていたとしてもいろいろな後悔が残るのもわかっているのですが、私にとっては無事に帰って来てくれるためのおまじないにもなっているのです。

「おはよう」「いただきます」「行ってらっしゃい」「行ってきます」「ただいま」「おかえり」「こんにちは」「おやすみ」。毎日繰り返す挨拶は、家族がお互いの元気を確かめ無事を祈るおまじないのようなものではないかと思うのです。

家族同士で大きな声で挨拶ができる子は他の人とでも挨拶ができます。それは人とのコミュニケーションの第一歩であると思います。

今日も一日家族の無事を祈りつつ、大きな声で「行ってらっしゃい」「行ってきます」これからも続けていきたいと思います。

かわいそうな子を作らないために

「うちの子はかわいそう。」って思ったことないですか?

保育園に初めて預けるとき「この子はかわいそうなのでは?」と思った人も多いでしょう。私が仕事をしなければ預けられなくてすむのにと・・・。

「片親だからかわいそう。」とか、かわいそうのネタはたくさんありますよね。もちろん新聞やテレビのニュースの記事でかわいそうとか気の毒と感じることは多々ありますし、むしろ喜ばしい明るいニュースより多いかもしれません。

問題なのは、第三者が思う「かわいそう」ではなく、自分の子に対しての「かわいそう」と思うことです。例えば初めに書いた保育所の件。産休育休明けに保育園に預かってもらう時、泣いて離れたがらないわが子を見るとつい悲しくなる。つらいのは当たり前なのですが、この子はかわいそうな子だと思うのは違うと思うのです

子どもは自分の生まれてきた境遇を変えることができません。どんな境遇でも受け入れるしかないのです。その中で自分の運命を切り開いてもらうためには、自分のことを好きになり肯定的にとらえて初めて前に進めると思うのです。

そのためにも「かわいそうな子」なんかになってもらっては困ります。人からみたら不幸な境遇でも幸福に生きることはできます。なぜなら幸不幸は自分が決めることなのですから。同じ立場でも幸福と思うか不幸と思うかで心のあり方は全然違うでしょう。

自分の子に「あなたはかわいそうだ。」と言い続けたり思い続けたりすることで、その子自身も自分のことが「かわいそうな子なんだ」と思ってしまいます。自分のことがかわいそう、不幸と思っている人が幸福になるわけがありません。どんな境遇であろうと楽しみを見いだせる人間が幸せなのだと思います。

親として、どんな時でも幸せを見つけられる子に育てるためには、やはり「かわいそう」と思うことは封印した方がいいと私は思います。

そして、親自身がどんな時でも幸せを見つけることが上手くなって、「かわいそう」と思う代わりに「一緒にがんばろう!」と声掛けできるようになりたいと思うのです。

伊達政宗

子どもたちは元気に学校に行っていますか???  その3

高学年の人間関係は難しい

学習面でのつまずきについて“その2”で書きましたが、主に高学年になると、人間関係での行き渋りが多くなってきます。

女の子はもめ事が多いと言われますが、長年の経験から言うともめ事が多い女の子は低学年の時からもめ事が多いです。もめ事の多い子同士がくっついてグループを作ります。離れればいいのにと思いますが、おとなしいもめ事のないグループでは刺激が足りないようで、やっぱり元に戻ってしまいます。

お互いに文句を言ったり仲間外れにしたり順番に繰り返します。自分がしているときはいいのですが、されたときは人一倍痛みを感じるという子が多いです。お家でも自分がしたことは言いませんから(自覚していないときもあります。)周りが悪いと思って周りを批判し、中には家同士の喧嘩なんてこともあります。もめ事が続く場合はほとんどの場合、自分にも原因がありますからまず自分から直すように促していくことが大事です。これは本当に難しいのですけれど・・・

他に人間関係が作るのが下手な子います。人との距離感がつかめない子、言葉通りしか受け取れない子。

こんな子は周りの子から浮きがちですし、理解してもらえず外されたりして傷つくことが多いです。周りの子もその子の行動が理解できず、どうしていいかわからず困っています。優しい子の多いクラスなら問題ないのですが、そうでないといじめられたりするかもしれません。

人は個人内の能力の差が多かれ少なかれありますが、中にはその差がすごく大きい人もいます。発達障害が疑われます。たいてい人はできる能力を見て、その人はこれくらいできるのだろうと推測します。できないところがあると「さぼっているのでは」とか「わざとしているのでは」と思われてしまうのです。できないのに・・・!すごく生きにくいと思います。

この苦手な能力が人との距離を測る能力だったり、雰囲気を読む能力だったりするとなかなか集団の中で認められにくくなってしまいます。みんなと一緒でなくても一人で大丈夫な子ならいいのですが、そうでないなら、「みんなが自分にだけつらく当たる」と思い、行きにくくなります。

小さい時から集団の中にいるわが子を観察してください。そして、学校での様子を担任の先生から聞いて、もしそれが疑われるなら教育相談等の専門の先生と相談しながら子どもが自分らしく生きられるような方法を考えましょう。

決してお母さんだけや、家族で抱えることなく相談できるところはいろいろあります。それぞれのケースはすべてちがいますから、1つのところだけでなくいろいろな意見を聞き、わが子にあったアプローチで取り組んでみてください。

最終的には学校だけがすべてではないし、コミュニティーでもありません。要は自分で自分らしく生きていけるようにしていくことが大事なのです。

*オオベニゴウカンの花